刺青殺人事件
かつて刺青の名人といわれた彫安は入墨師のタブウを犯して常太郎、絹枝、珠江の三人の兄妹の背に自雷也、大蛇丸、綱手姫を彫り分けたと伝えられている。常太郎は出征し、珠江は広島の原爆落下当時居合せてそれぞれ現在行方不明であるが、一人残った絹枝はバア・セルパンのマダム。その彼女から世界的な刺青標本の蒐集家、東大医学部の早川博士のもとへ「一命の危険が迫っている」旨の連絡があり、翌日、研究員の**研三と博士が絹枝の私宅を訪れると、彼女らしいバラバラの死体が風呂場に散乱し、**だけが持去られていた。嫌疑者は絹枝の三人の**前科者の臼井、土建業者の最上竹蔵その弟の久、それに早川博士だったがそれぞれ**の時刻にアリバイをもっている。間もなく、今度は竹蔵が自殺らしい死体となって発見される。これで竹蔵への嫌疑がたしかめられたようだったが、たまたま研三が行方不明のはずの常太郎...